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先生の指先で愛されて

  • 作家逢見るい
  • イラスト琴稀りん
  • 販売日2013/10/4
  • 販売価格300円

わたしはまるで、先生の熱い掌、器用な指先で練り上げられる粘土みたい――。感情表現が下手で、気持ちを上手く伝えられない円花は、誰にも言えない孤独を抱えたまま葬儀場で働いていた。ある日、葬儀場にやってきた遺族の1人の見知らぬ男性と目が合った瞬間、円花はなぜか涙が溢れて止まらなくなってしまう。運命に導かれるようにその男・嘉村が講師を勤める陶芸教室に通い始める円花だが、あの日のことを聞けないままで……。

葬儀場は、暗く冷たい、いつもの空気だった。一般会葬者の焼香のあと、お別れの儀として棺に献花・故人の愛用品などを納め釘打ちをする。焼香を終えた人たちが端に避け、親族が棺へと近づいていくなかで、わたしは一人の男性の姿に目を奪われていた。

黒いスーツに黒いネクタイ。長身で体格がよく、肌の白さが髪の黒さを際立たせている。そうして髪と同色の漆黒の瞳は冷たく、まるで彼だけが別の世界を見ているかのようにも思えた。

周りの人たちが故人を思い涙するなか、ただ一人、しゃんと背筋を伸ばして、涙を浮かべることなく毅然きぜんとして棺の前に立っている。葬儀屋でスタッフとして働き始めて五年。わたしは初めて、その横顔に自分の姿を重ねていた。

昔、わたしがまだ高校生だったころ、かわいがってもらっていた母方の祖母が死んで、悲しすぎて泣けなかったことがあった。両親は物心ついたころから仲が悪く、葬儀の前日まで、親族は遺産やらなんやらの問題で揉めていた。誰一人として悲しんでいる素振りすらなかったのに、葬式になると泣いていた。声を殺すことなく、恥じることなく泣いていた。おかしな光景だった。大事な人が死んでしまって、悲しくて悲しくてたまらないのに、わたしは現実として受け入れることができず、泣くことすらできなかったのに。それまで散々お金のことで揉めていた親族や両親は、涙を流しながら泣かないわたしを、さげすむように見た。

「あんたは冷たい子ね」

母親にポツリとそういわれたとき、憎しみにも似た感情が芽生えた。自分のことばかりで、わたしや祖母のことなどちっとも顧みなかったくせに、このなかの誰よりも、わたしが一番悲しいに決まっているのに。どうして嘘の涙を流す母に、そんなことをいわれなくてはいけないのか。

それからだ、わたしが泣けなくなってしまったのは。わたしが人の涙を、信じられなくなったのは。

「バスと霊柩車、OK?」

「はい、連絡済みです」

そろそろ出棺のときとなり、式場を出て火葬場へと向かう。次の準備に取り掛かろうと、チラリと腕時計に視線を落としたときだった。釘打ちを終えた彼が、ふいにこちらを振り返って、顔を上げたわたしとパチリと視線がぶつかる。

悲しみに暮れるたくさんの人たちのなかで、彼だけが、スローモーションを見ているみたいに、ゆっくりと映った。

困っているみたいな眉の角度、細められて垂れた目じり。薄らと口角を持ち上げ酷く悲しそうに微笑まれて、わたしの左目からはツーッとなぜか、ふいに涙がこぼれた。

「え」

思わず、声が漏れてしまう。もう何年も泣いていなかったのに、彼と目が合った途端、不思議なことにつぎつぎと涙は溢れていく。彼はそんなわたしを少し驚いた顔をして見ると、突如として、泣き出す直前のように表情を崩した。

まずい。そう思ったときには既に、伸びてきた上司の手によって、腕を掴まれていた。

植村うえむら、あんたなにやってんの。さがってなさい」

「……すみません」

葬儀屋のスタッフが泣くなんてことは、ご法度はっとだ。慌てて彼から顔をそむけたわたしは、うなずき上司にいわれたとおり、裏にある控え室のなかへと駆けこんでいった。

なぜ涙が溢れたのか、わからなかった。彼と目が合った瞬間に、悲しみが、リンクしたのだろうか。悲しくて悲しくて、どうしてだか無性に悲しくて、控え室の椅子にもたれて、その場を離れたあとも、わたしは声を漏らして泣いた。彼は微笑んでいたのに、あのなかの誰よりも、悲しそうだった。

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