夢中文庫

ナイショの花嫁修業

  • 作家宮永レン
  • イラスト篁ふみ
  • 販売日2018/01/19
  • 販売価格500円

豪商との縁談が決まったルチアは、花嫁修業のために寄宿学校へ入学する。だが、夜伽のレッスンを受けてくるよう言われたのに、カリキュラムにはそんなものどこにもなく悩んでいた。そんなルチアの前に臨時講師のジャックが現れる。彼は前髪が長くて顔がよく見えず、丸眼鏡をかけ、ボサボサ頭で、身なりもよくなく、見るからにうさんくさい。生徒たちからは敬遠されるが、ルチアは意気投合する。この先生なら……と、夜伽のことを依願すると、ジャックは快く引き受けてくれ、その日から甘く淫らな個人レッスンが始まった。優しく官能的なキス、そして秘めるべき場所での愛撫――婚約者がいるのに、ジャックの愛戯の虜になってしまい……?

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プロローグ
 便箋の上を軽やかに走る羽根ペンの、小気味よい音が部屋に響いている。夜も更け、起きている人間がほとんどいないせいもあるが、この建物が敷地内のはずれに位置していることもあって物音はそれ以外には聞こえない。
 机の上の便箋を照らすオイルランプの明かりに目を細めた彼は、インク壺にペンを挿して両腕を天井に向かって伸ばすと背もたれに体を預けた。
「そろそろ時間だ……」
 誰に話しかけるでもなく口にして、鼻先まで伸びたアッシュグレーの前髪を長い指で梳き上げると、その下から赤みがかった深いブラウンの瞳が覗いた。聡明な眉と高い鼻を結ぶラインが、芸術的に美しい。陶器のようになめらかな頬がランプに照らされ、彫りの深い顔立ちを際立たせている。
「少し伸ばしすぎたかな」
 自嘲気味に笑って再び髪の毛を下ろした彼は、くしゃくしゃと髪の流れを乱し、均整の取れた素顔を隠した。
 机の上に置いた懐中時計の秒針がとても遅く感じられる。今夜ここへ来るはずの人物の顔を思い浮かべ、満足そうにため息をついた。
「待ち遠しいなんて、久しく感じたことがなかったな」
 机に置いた銀縁の眼鏡を手に取り、柔らかな布でレンズの汚れを拭く。ガラスを薄く磨いただけのそれは、かけてみても視力に変化はなかった。
 レンズ越しに部屋を見渡す。書類を書くための机、来客用の応接ソファ以外には何も置いていない。そして扉を挟んだ隣室は浴室になっており、そこから続き間になっている隣の寝室にもベッドが一つと、着替えを入れているクローゼット、姿見しか置いていなかった。殺風景だったが、数日だけの滞在予定だったので、それだけで十分だった。
「……場合によっては、滞在を延長することをお許しください」
 彼はそう呟きながら羽根ペンを取り、便箋に同様の言葉をなめらかに綴る。最後の行に署名をしようとしたところで、部屋の扉が小さくノックされる音を耳にした。
 ハッと顔を上げ、まだインクの乾かない便箋を机の引き出しにそっとしまって、立ち上がる。
「ジャック先生。ルチアです」
 かぼそく秘めた声色が彼の鼓膜をぞくりと刺激する。
「どうぞ。鍵は開いているよ」
 真面目な彼女なら、深夜に寮の自室を抜け出してくるだけでも勇気がいったことだろう。すぐにでも扉を開けて抱きしめたいという衝動を抑えて、彼は慎重に次の行動を促した。
(彼女が自ら中へ入ってこなければ意味がない)
「失礼します」
 扉が開くと、常闇を背にした彼女が、不安そうに中の様子を窺うように上目づかいで立っていた。昼は編んで一つに結い上げていた淡い金の髪は、長く腰の辺りまで下ろされている。
 足元が隠れるくらいの柔らかそうなガウンに袖を通して、開かないように左手でぎゅっと前を押さえていた。その固く握られた手は、彼女が緊張していることを示している。
「明かりも持たずにやってきたの?」
 静かに扉を閉めたルチアに声をかけると、彼女は素直にうなずいた。
「誰にも見つからないようにと」
 うつむき加減に答える彼女の頬がかすかに赤く染まって見えたのはランプの橙色の炎のせいだろうか。長い睫毛の影が目元に落とされる。
(まるで子猫のようだな)
 扉が閉められたことによって、彼女がまとっている甘い石鹸の香りが際立つ。
「おいで」

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