夢中文庫

シークレット・ハニーボイス

  • 作家玉紀直
  • イラストよしのずな
  • 販売日2018/03/23
  • 販売価格300円

毎日、自宅で「彼」が私を癒してくれる──コールセンターに勤める美聡は、ハードワーク気味。気遣ってくれる友人から、「毎日の疲れなんて吹き飛ぶよ」と渡されたシチュエーションCD。どんなに疲れて帰っても、その優しい「彼」の声に包まれることで美聡は日々癒され、いつしか声の主に恋に近い気持ちを抱きはじめていた。仕事の準備のため、取引先の社長である佑基からの直々のレクチャーを受けに定期的に通う美聡であったが、佑基の低くて威圧感ある声は苦手に感じて緊張するばかり。そんなある日、オーバーワークのせいで美聡は倒れてしまう。意識を失う前に耳にしたのは、あの恋い焦がれた声。声の主はこの会社の誰か…!?

YAHOO!JAPANブックストアで購入
BookLiveで購入

プロローグ
『いいだろう? なに照れてんだ。ほら、頭撫でさせろ』
 そんなセリフを聞きながら、小堀(こぼり)美聡(みさと)はひたいに冷たい汗を浮かばせた。
 いや、汗自体は普通の温度かもしれない。その汗が冷たいと感じてしまうほど顔が熱いのだ。
 その原因は、なんといってもこの声なのである。
『髪、ちょっと傷んでる? 忙しくて手をかける暇がないんだよな。かわいそうに』
 髪は……確かに傷んでいるかもしれない。ここのところ仕事が忙しくて美容院に行く暇もないので伸ばしっ放し。パーマが中途半端にとれてしまって見栄えが悪いので、毎日ひとつにまとめ上げては大きめのバレッタで留めてごまかしている。
『こらっ、暴れんなっ。いいから寄りかかってな。寝ちゃってもいいんだぜ』
(暴れる! こんなの、暴れるって!)
 美聡は心の中で叫ぶ。
 こんなの、恥ずかしくて暴れ出さずにはいられない。
『ずっと、俺が抱いていてやるから』
(ひぃーー!!)
 もう耐えられない。
 声にならない絶叫を心であげ、美聡はフローリングの床をズザザザッとお尻で滑りながら後退した。
 この声を発しているものから少しでも離れなければ。これ以上あんな甘ったるくて恥ずかしいセリフを聞いていたら、床をのたうち回ってしまう。
『俺だけが……ずっと、おまえのそばにいる』
 しかし、離れたところで、この全身がムズムズするような声とセリフは止まらない。
 これをやめさせるためには、美聡はもう一度近づいて行かなくてはならないのだ。
 近づいて……押さなくては。パソコンのメディア停止ボタンを。
『疲れたおまえの癒しになれるなら、なんでもしてやるよ』
 魅力的な言葉を並べたてる甘い声。
 聞いているだけで、指定人物特定不能のオリジナルイケメンが、優しく微笑む姿が頭に浮かぶ。
 しかしそんなイケメンは美聡の部屋にはいない。いや、大学を卒業して二年、一人暮らしのこのワンルームに、男性が足を踏み入れたことはない。
 甘ったるいこの声は、壁側に置かれたデスクの上から聞こえている。詳細にいうなら、デスクの上に置かれたパソコンから、である。
 ドラマや動画の類ではない。液晶ディスプレイに映っているのはホーム指定のポータルサイトだ。
 彼女は、ドライブで再生していたCDを聴いていただけである。
(待って……待って、まってぇっ! 聞いてない、こんな内容ぉー!)
 予想外だった。こんな甘ったるい声が流れてくるとは思っていなかったのだ。
 友だちがくれたCDだった。コールセンター代行会社で働く美聡に「毎日の疲れなんか吹き飛ぶよ」と言って、張り切って渡してくれた。
 癒しグッズを集めるのが好きな美聡は、ヒーリング音楽かなにかかと思い喜んだ。しかし友だちは「シチュエーションCDだよ。癒されるよぉ~。きゅんきゅんするよ~」と言ったのだ。
 癒される、はわかるが、癒されてきゅんきゅん……とは、どういうことだろう。
 美聡はてっきり、かわいい子猫や子犬などの鳴き声でも入っているのかと思った。
 しかし……再生ボタンを押したあとに聴こえてきたのは、耳の奥にズキューンと響くような、男性の声だったのである。
 動揺しているうちにCDはどんどん再生され……
 やがて、展開はとんでもない方向へ進み……
(ひゃぁぁ~!!)
 驚きのあまり、動くことも止めることもできないまま……
 美聡はその日、固まったままCDをすべて聞いてしまったのだ。
第一章 苦手な社長
『あー、もういいよ! すぐ答えられないとか、役に立たねぇ電話番だな!!』
 吐き捨てる声は腹立たしげで、おまけに嘲笑を含んでいる。
 それでも、通話を終える際にガチャンという大音量が耳に響かないだけいい。かけてきた相手はスマホだったのだろう。
 固定電話だと、ときに腹立ちまぎれに受話器を置く人がいて、その瞬間ガチャンという音が耳に痛いほど響いてインカムを外してしまうことも少なくないのだ。
 そんなとき美聡は、「電話が壊れちゃいますよ」と心で呟く。
 ついでに「壊れたら買い換えないとならないですね。もったいない」と同情をしてみるのだ。……多少だが、八つ当たり気味に不満を投げつけられた気も紛れる。
──とはいえ……、ストレスが溜まるのは間違いがない。
「ひと息つけた? お昼行かない?」
 ふうっと息を吐くと、同期の女子に声をかけられた。
 美聡は苦笑いでインカムを外す。
「こめん。先約あり」
「あー、今日はランチデートの日か」
「やめてよ、その言いかた」
 苦笑いの顔が、さらに困ったように眉を下げる。同期女子は腕を組んで美聡をからかった。
「いいじゃない。相手はイケメンだし」
「あれで雰囲気が怖くなきゃね」
「えー? 渋くて良くない? 清風堂(せいふうどう)の社長、まだ三十歳だっけ?」
 渋い。そういう言いかたもあるなと思いつつ、美聡は椅子から立ち上がる。
「たしか、二十九歳だよ。三年前に、二十六歳で起業した人だから」
「二十六歳から社長かぁ……すごいよね」
「ベンチャー企業ってやつだしね。若い社長さんが多いじゃない、ベンチャー系って」
 話をしながら「いってきます」の意味で小さく手を振ると、同期女子も「いってらっしゃい」と軽く手を振ってくれる。最後に片手でガッツポーズを作ってくれたのは、おそらく「がんばれー」のエールだろう。
「もう一度確認をさせていただきます。……え? いいえ、念のためです。……はい、……いいえ、聞いていないからではありません、聞き漏らしの内容……あ、違います、お客様が間違っているとかそういう意味ではなく……」
 通りすがりのデスクから、このオフィスでは珍しくもない慌てた声が聞こえる。目を向けると、健康食品の通信販売を担当しているブースだ。
 ときどき、注文を繰り返そうとすると、「聞いていなかったのか!」や「二度手間かけるな!」と怒り出す相手がいる。どうやらそのての人物にあたってしまったらしい。
(がんばれ~)
 今度は美聡が心でエールを送り、彼女は時間を気にしながらオフィスを出た。
※この続きは製品版でお楽しみください。

オススメ書籍

もう一度、恋をはじめます

著者茅原ゆみ
イラスト中田恵

高校生の頃、平本理央は初めての恋を知った。相手は、駅のホームの向かい側に立つ青年、榊春朋。些細なことで言葉を交わすようになった二人は、春朋からの告白を機に付き合うように。しかし二人は、気持ちのすれ違いから別れてしまう。それから八年後、出版社の文芸部編集者となった理央は、飛ぶ鳥を落とす勢いの人気作家、坂井晴の担当を任される。梅雨空の中、坂井に会いに行った理央の前に現れたのは、なんと春朋だった。未だに春朋を愛していた理央は、突然の再会に激しく戸惑う。しかし春朋は人が変わったように冷淡で、酷薄な人物となっていた。そんな彼に、同居人の幼馴染みを今彼だと誤解された理央は、春朋に抱かれてしまうが――。

この作品の詳細はこちら