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夜だけの恋縛契約

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  • 作家宇佐川ゆかり
  • イラスト朝丘サキ
  • 販売日2015/12/08
  • 販売価格300円

「あなたが好きです」それを、口にすることができたなら、どれだけ楽になれるのだろう――。実家の借金を背負ってしまった杉本沙織を助けてくれたのは、勤め先の社長である河鍋雄大だった。彼は実家の借金を返す代償として、沙織に「愛人契約」を持ちかけてくる。深夜の社長室、彼のマンション、ホテル。どこへ行っても彼は沙織に「恋人同士」のような振る舞いをもとめてきた。人前では彼の名を呼ぶことさえできないのに、共に過ごす時間が長くなれば長くなるほど、彼への想いはつのっていく。けれど、この関係は彼が沙織に飽きたなら終わりになる。溢れそうな想いを封じていた沙織は、ついにその日が来たことを知り――。

アクセル株式会社の秘書室では、ちょうどPCのシャットダウンが始まったところだった。灰色のビジネススーツをきっちり着込んだ杉本沙織(すぎもとさおり)は、大きくのびをして首を回す。ぽきぽきという音が部屋中に響き、残業につきあってくれた岩元優莉(いわもとゆり)が、小さく笑った。
「今日も一日大変だったわね」
「そうね。大下(おおした)部長の出張が一日延びたから、あちこちスケジュール組みかえないといけなかったし」
「トラブルでメールも多かったしね」
「……本当に」
 二人、顔を見合わせてため息をつく。
 ここ、アクセル株式会社は日本でも有数の人材派遣会社だ。創業時は事務関係の人材を派遣していたのだが、医療関係や建設関係、海外への派遣等、特化した部門を抱えることにより急成長を遂げたのである。
 現在の社長である河鍋雄大(かわなべゆうた)は二代目であり、非常に優秀な人物と言われている。彼の代になってから専門職の派遣を多く行うようになり、今までよりもさらに収益を上げるようになっていた。
 いつも険しい表情で冷たそうな雰囲気をもっているものの、整った顔立ちの持ち主、三十歳手前の独身ということもあり、彼の周囲には常に女性関係の噂が絶えない。だが、決まった相手というのはいないらしく、噂は噂に終わるのがいつものことだった。
「社長は?」
「さっき確認して来たら、もう少し残るって言ってたけど」
 秘書室から社長室に通じる扉の方へと優莉は目をやった。社長室は秘書課の隣にあり、いちいち廊下に出なくても行き来できるように設計されている。
 PCの電源を落とす前に、残作業がないかを確認してくれた優莉は肩をすくめる。
「仕事に関しては意外と、真面目なのよね。社員には手を出さないし……そこが魅力的でもあるんだけど」
 こっちもチャンスがないのはわかっているから、必要以上に意識したりなんてしないし、と優莉は言いたい放題だった。優莉の気安さは、父親がアクセルの重役だというのもある。社長とは昔からの付き合いらしい。
 秘書室の中を片付けてから、二人そろって廊下へと出る。ほとんどの人が帰宅してしまった二十一時、廊下の明かりも半分落とされていて薄暗くなっていた。
「明日は早く帰ろうっと。美夏(みか)さんが今日早く帰ったの、合コンだって知ってた?」
「そうなんだ。まだ月曜日なのに。明日、つらくなければいいけど」
「沙織は優しいわね。美夏さんがつらくても、月曜から合コン行ってたんだから、自分のせいでしょ」
 くすくすと笑いながら、優莉は下に向かうエレベーターのボタンを押した。
 秘書室には五人が在籍しているのだが、他の三人は、上司に同行した後の直帰だったり、定時上がりだったりで、今日残業していたのは二人だけだった。
「この時間じゃ、正面口から出られないし……裏口ってなんだか怖いわよね」
 十八時の定時を過ぎたら、正面口は閉鎖されてしまう。残業が普通の二人にとっては、正面口から出られることの方が少なかったけれど優莉が言うこともわかる。この不気味な雰囲気にはいつまでたっても慣れないのだ。
「秘書課の仕事って、残業多いもんね。今週、どこかで早く上がれるように調整してみたら?」
 バッグのポケットに入れていたスマホが不意に振動したのを感じ取って、沙織はスマホを取り出した。ちらりと画面に目をやり、取り出したばかりのポケットにスマホを戻す。
「返信しなくていいの?」
「急ぎじゃないから。お母さんからだった」
「ああ……お母さんって時々、返事するのも面倒なメールよこしたりするよね」
 本当は母からのメールではなかったのだが、優莉にそこまで言う必要はない。これは、秘密にしなければいけない相手からのメッセージなのだから。
「それじゃ、また明日ね」
「お疲れ様でした」
 裏口を出たところで、優莉とは反対側に歩き始める。優莉はここから二駅離れたところにある駅前のマンションに住んでいるのだが、沙織は学生時代からずっと同じアパートに住んでいた。会社から徒歩圏内にあるということもあって、卒業時にも引っ越す必然性を感じなかったのだ。
 だが、今はそのアパートに帰るわけではなかった。優莉の姿が角を曲がり、大通りへと消えて行ったのを確認して沙織は踵(きびす)を返す。歩きながらスマホを操作し、優莉には後でいいと言ったばかりのメッセージに返事を返した。
 沙織が向かったのは、今出てきたばかりの本社だった。裏口を入ったところにある警備員の詰め所にいるのは、いつもと同じ顔。互いに目礼を交わすが、余計なことは言わない。それが、暗黙の了解だった。

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