夢中文庫

奇術姫は終着の腕に蕩けて

  • 作家日野さつき
  • イラスト白峰早菜
  • 販売日2018/10/05
  • 販売価格600円

「直接肌を合わせていたら、どれだけかわいい反応をするのか……知りたくなるな」──『眠る小熊座』に所属しランドマイズ国内をめぐっていたクロエ。興行を始めたころから彼女の手品見物に来てくれていた見目麗しい男性エルナンドにクロエはほのかな好意を抱いていた。しかしある日、強引に彼に誘われ戸惑う。断ることも彼の手を振り払うこともできず、されるがまま初めての快感を与えられ心を乱された。後日、エルナンドが公爵家当主と知り一層悩むクロエだったが、公爵家でのパーティの余興に一座が招かれ、彼の屋敷に滞在するなか更なる悦びを教え込まれ寵愛を注がれる。一方、クロエの抱える秘密にまつわる事件の核心にも近づきはじめ……。

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 露店をのぞくひとや、呼びこみに足を止めるひと、それぞれが家に帰ってからどう表情を変えるのか、それを考えるのがクロエは好きだった。
 道ばたに細身のテーブルを置き、クロエは暗褐色に黒の糸で刺繍をほどこしたテーブルクロスを敷いていく。
 子供たちが通り過ぎ、恋人たちが通り過ぎ、あたりはにぎやかになっていく一方だ。ランドマイズ国の中心、オウルスタ市の中央広場である。公的機関と公園を兼ねた広大な敷地の一角だ。先達て市内の祭りがあり、その直後のため客足が望めないのでは、との懸念もあったが、いらぬ心配だったらしい。
 日が落ちるのがはやくなっていく、秋に差しかかった時期だ。興行を許され、公演をはじめて十日ほど経つが、日に日に夕暮れの迫る時刻がはやくなるのを体感できる。
 昼から支度にとりかかっていたが、ちょくちょくのぞいてくるひとたちに興行の説明を重ねていたら、あっという間に時間が過ぎていた。
「どう? おかしなところはない?」
 薄手の黒い布で仕立てた衣装に身を包んだクロエは、準備を手伝ってくれているチータに向け、その場で一回転して見せる。
 いつも着ているものだが、薄布を重ね着する衣装のため、妙なところがないか誰かに確かめてもらいたい。ここ最近胸元がきつく感じられていた。寸法が合わないとなると、どこか不格好かもしれない、と不安になる。
 クロエの腰ほどの背の高さのチータは、満面の笑みで手を叩いた。
「似合ってるわよ、クロエ! どうせなら、なにもかぶらないでいたら?」
 チータの提案に、クロエは首を横に振る。
「目が合っちゃうと、お客さんが身構えることあるから……」
 ふところからフードを取り出し、それをかぶる。
 視界に紗がかかった。
 黒地に金銀の糸が織りこまれたその衣装は、先代手品師チュチョから譲られたものだ──彼はチータの父であり、クロエの師匠であり、またかけがえのない恩人である。
 師匠とおなじく、クロエもまた手品を生業としていた。
 座長のサロモンはめずらしい獣を操るとのふれこみで、広場の奥で公演をおこなっている。座長は部位のひとつひとつは悪くないのに、顔に全部が乗るとどうしてかおもしろみのある顔つきになる男だ。
 彼が座長を勤める『眠る小熊座』に籍を置き、クロエはランドマイズ国内をめぐっていた。
 祭りのさなかは、広場で教会の聖歌隊が募金を集めながら歌声を披露していたそうだ。
 そこでの興行を眠る小熊座は許されたものの、市から火の使用を禁じられてしまった。座長はそれでもかまわない、とふたつ返事だったが、手持ち無沙汰になった火吹き男のトニョが、つまらなそうにクロエのほうにやってくる。公演期間となる半月ほどの間、トニョはずっと雑用係の扱いになるのだ。
 いかつい顔つきをした彼は、自分の芸が披露できなくてずっとふてくされたままだ。しかし誰もそこには取り合わず、次々と雑用を頼んでいた。
「お疲れさま、ご機嫌いかが?」
「クロエ、俺はもうくたくたなんだ。おまえまで面倒なことをいいつけてこないよな」
「おかげさまで、チータが手伝ってくれたから、私のほうはなにもお願いすることはないわ」
 テーブルの向かい側にまわり、クロエは微笑む。フードで目元まで隠れ、クロエのくちびるだけしかトニョには見えないだろう。
「それはよかった! それなら俺はお役ごめんだな」
 破顔するトニョの腰を、チータが軽く叩いた。
「あたしの用事は山ほどあるよ。ほら、そこらのものを持っていって」
 荷物を入れていたいくつかの木箱を順番に目でしめし、チータは笑った。大袈裟にいやそうな顔をしたトニョの腰を、チータはぱたぱたと何度か叩く。
「あたしも手伝うから! クロエ、ひとりで大丈夫?」
 クロエがうなずく間にも、トニョは木箱に手をかけはじめている。
 足音を立てずにチータはとなりにやってきて、指先だけでクロエを手招いた。
「なぁに?」
 耳を寄せると、チータはやけに艶っぽい声でささやいてくる。
「あの赤毛のひと、さっき見かけたわ。きっとあんたに会いにくるわよ」
 心臓が急に胸のなかで大きくでもなったのか、クロエは鼓動で息が詰まって返事ができなかった。
「トニョとあたしはほかのところも手伝ってくるけど、あんたはちょっとくらい休憩してもいいと思うの。たまにはお客さんとゆっくり話すとか……せっかく知り合ったのよ、どうかしら。なにかつまんできてもいいんじゃない?」
「……チータ、私は」
 そういうことは、といいかけて、言葉が止まってしまう。
 道端に彼が立っていた──壁際に立ち、クロエのほうを向いている。

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