夢中文庫

本気の北瀬くんはわざと眼鏡を外させる

  • 作家鞠坂小鞠
  • イラスト一夜人見
  • 販売日2020/07/14
  • 販売価格500円

酔った勢いのワンナイトをきっかけに、優秀な後輩・北瀬と付き合い始めた理彩。職場で誰にでも人当たり良く接する彼は、しかし理彩とふたりきりになると途端に顔を強張らせてしまう。その癖、眼鏡を外すとスイッチが入ったように情熱的に理彩を求めてくる。何度肌を重ねても、付き合ってほしいと切り出してきた相手の真意が見えず――どんどんぎこちなくなっていく関係に悩み、やがて理彩は、真面目な彼が一夜の責任を取ろうとして交際を申し出てきたのだと考えるように。だがある夜、意図せず同僚に言い寄られた理彩に、北瀬は「なんで彼氏いるってはっきり言わねえんだよ」と独占欲も顕わに口づけを迫り……!?

プロローグ
 金曜、時刻は午後九時手前。
 壁にかかる時計は自室のそれよりも数字の表記が大きく、遠目であっても眺めやすい。寝慣れないベッドに横たわりながら、やはり見慣れない天井を、私はぼんやりと見つめていた。
 この部屋に泊まるのは初めてだ。立ち寄る程度にお邪魔したことは何度かあるけれど、一緒に夜を過ごすとき、今まではホテルに泊まっていた。
 ベッドは私の部屋のものよりもマットレスが硬く、また、天井は自室のそれよりも高い。うとうとと瞼が落ちかけること数回、ここどこだっけ、と我に返っては、そのたび知らない世界に迷い込んでしまったような違和感を覚える。
 ピリリリリ、と不意に甲高い音がして、私は思わず息を詰めた。
 携帯の着信音だ。一瞬、自分のそれが鳴っているのかと思ったけれど、違った。
「……はい」
 通話に応じる低い声が聞こえ、着信音は途絶えた。
 彼の声は少しずつ遠くなっていく。寝室の隅に移動したらしい。私が寝ていると思ったのか、さして広いわけでもない部屋の端で通話を続ける声は、先ほどまでよりずっと聞こえにくい。
 カーペットの上に脱ぎ散らかした自分の服が、ふと視界に入り込む。
 スーツのスカートとジャケット、薄手のブラウス、下着……ストッキング。生々しい。頭の中が急に羞恥に染まる。
「……すみません。今日は……ちょっと」
 微かに聞こえてくる彼の声に耳を欹(そばだ)てる。
 用事かな、と思う。例えば、週末に誰かと約束をしていて、それをうっかり忘れてしまっていたのかも。
 ……少し怠いけれど、帰れないほどかと問われれば、多分そこまでではない。
 上体だけを起こし、ベッドの縁を爪でとんと軽く叩く。途端に、彼がはっとした顔でこちらを振り返った。
 帰るよ、と小さく囁くと、彼はわずかに眉を寄せた。怒られている気分になって、私はそっと目を逸らす。そのまま、床に散る自分の服に手を伸ばした。
 彼の視線があるから、タオルケットから肌が出ないように……なんて、いまさらそういうことに神経を割いている自分がなんだか滑稽だ。
「……理彩(りさ)さん」
 通話を終えた彼が、服を着終えた私を不機嫌そうに見下ろした。
 どんな顔をしていいか分からない。謝るのも違う気がする。
 不機嫌そうにしている原因は、きっと私なのだと思う。でも、今謝ったら彼はもっと顔をしかめる。そんなことだけはすぐに想像がついてしまう。
 結局、私は口元を緩め、曖昧に笑い返すに留めた。
 私たちには、こうして週末に会うくらいしかプライベートの繋がりがない。しかも、それもまだまだ短い期間での話だ。
 納得いかなそうな顔をしていた彼は、やがて小さく溜息を落としてから口を開いた。
「……送ります。すみません」
 目を逸らしてそう告げる彼を、静かに見つめ返す。
 相手が自分を見ていないと分かっていながら、私は笑って頷いた。

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