夢中文庫

一途な彼女は孤独なオオカミを逃がさない

  • 作家長曽根モヒート
  • イラスト森原八鹿
  • 販売日2020/04/28
  • 販売価格700円

憧れの社長秘書への異動発表を明日に控えている詩織は、酔った勢いで不思議な雰囲気のバーテンダーと一夜を共にしてしまう。翌朝、名も知らぬ彼をそのままに出社し社長室へ向かうと、そこには先程まで隣で寝ていた彼が!? 彼、和真は社長の弟で、詩織は新たに役員に就任する和真の秘書に任命されたのだった。和真はその独特の雰囲気から、はじめはお飾りの役員と噂されていたが、徐々に頭角を現し注目の的に。一夜のことは忘れあくまで上司と部下の関係として接する詩織だったが――「男の〝何もしないから〟って嘘だから」人気者なのにどこか影を含む和真に惹かれ、再び身体を重ねる……。ところが彼には隠された過去があって……?

 これは恋じゃない。
 ここにあるのは恋愛感情なんてくすぐったいものなんてまるでなくて、人間性なんか求めていない。あるのは動物のような本能、ただそれだけだ。
 太く硬く反り返ったそれが秘められた狭間に押し込まれ揺さぶられ、息を荒げ汗を滴らせて快楽を貪る。ただそれだけの行為。
「……っ、あ……、は、……もう……ッ」
 切羽詰まった声が聞こえる。鬱陶しいほど伸びた黒髪の間から、苦悶に歪んだ瞳が切なげにこちらを見つめる。
 その視線にどこか、懐かしいものを感じた。
「……──」
 反射的に名前を呼ぼうとして、刹那。自分はこの男の名前を知らないのだと、そのとき初めて気がついた。
「それじゃ、おつかれー」
 週末。仕事終わりのサラリーマンやOLがその週の疲れを癒やそうと集まりごった返したバーで、山崎(やまざき)詩織(しおり)は友人の里緒(りお)とカウンターの隅を陣取り、ささやかな乾杯をした。
 百六十七センチという身長で痩身、肩につかない長さで切りそろえた黒髪と、化粧で誤魔化さないときつく見えるややつり目気味の顔立ちは、二十六歳という歳のわりに落ち着いて見える。
 生来、人見知りする性格も相まって初対面ではうまく話せず冷たい印象を与えてしまい、学生時代のあだ名は『氷の女』だ。さほど協調性もないまま社会人になってしまった現在、付き合いがあるのは中学時代からの友人の里緒だけである。
「それで、明日が待ちに待った異動の発表なんでしょ?」
 里緒は胸元くらいまで伸ばし軽くウェーブがかった栗色の髪を片側にまとめて、ウサギのような大きな目を柔らかに細めた。
 里緒の百六十センチに満たない身長と女性らしいほどよい肉付きのライン、愛らしく小ぶりな顔の作りは、まさに詩織の理想の女そのままである。
「そうなの。一昨日くらいからずっと緊張しっぱなし。早く結果が知りたいなあ」
「心配しなくても大丈夫だって。あんた優秀じゃん」
「うーん、でもどうかなあ。デザイナーと秘書って求められてるスキルが違うわけだし……」
「またそんなこと言って」
 自信がなさそうに視線を漂わせて落ち着きなくグラスを撫でる詩織に、里緒はやや呆れたような視線を向ける。
 いつもそうなのだ。詩織はいざというとき自信がなくなる。どんなに万全の準備をしたとしても、結果を見るまでは駄目なのではないかと不安でたまらない。高校受験も大学受験も入社試験もそうだ。
 今回は入社以来ずっと狙っていた秘書の席が空いたので、ここぞとばかりに異動願を出したのだが、その発表が明日に迫り気分は最悪だ。ここ数日は毎夜異動できずに終わる夢にうなされ、詩織は居ても立ってもいられず里緒を飲みに誘った。
「でも憧れの社長の秘書になりたかったんでしょ?」
「そうだけど……でも社長秘書なんてきっとすごい競争率だと思わない? 寿退社してたまたま空いたけど、私よりも優秀な人ってきっといっぱいいるし」

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