
イラスト緋月アイナ
「わたしの妻になってくれて、ありがとう」――シンシアが王城で出会ったのは、異国から来た強面の騎士ラディド。彼に求婚されたシンシアは、持参金に含まれた領地に絡んだ政略だと理解し、領主の妹の義務として了承する。しかしラディドは婚姻契約書とは別に、シンシアが夫に望むことを記した契約書に署名すると申し出る。結婚した後、あなたに誠実な夫になりたい、と。シンシアは自ら作り上げた契約書を手に、新しい土地の小さな城で結婚生活をはじめた。妻に優しくすること、妻の意見を尊重すること――契約の条項を守る、強面ながら優しい夫に心を寄せていく中、ラディドの故郷から不穏な動きが……。
プロローグ
木々に囲まれた石のベンチにひとり座るシンシア・ブレナは、小さな本に記された装飾文字から、ふと、目を外した。
夏前の乾いた風が吹きつけ、ドレスの鮮やかな青い布の上で、金色の髪がふわふわと揺れている。
(邪魔だわ……)
本を膝に置き、上げた手で髪を払った。顔の両脇を編んで後頭部で束ね、残りとともに背に垂らした髪型は好きだったが、風のない日に限るわね、と思う。
ブレナ家の女はくせの強い髪質で、母親と、ディルソン家に嫁いだ姉もそうだった。
だからといってそれが慰めになるものでもない。たっぷりとした金髪はくるくると渦巻いていて、油断するとひどく絡んでしまう。
(いつものように、ひとつに編んでおきたい……)
シンシアはため息をついて、手を下ろした端から風に乱されていく金色の影を見まいと目を閉じた。すると瞼の裏に、ちらちらと光が揺れた。午後のまばゆい陽射しが、ベンチの両脇に立つ木々の葉を透かして瞬いているのだ。
いまが一番、いい季節だわ、と思った。ささやきのような葉擦れの音、小鳥の軽やかなさえずりが響くのも、目を閉じているとより際立って聞こえてくる。
(ほんとうに、素敵な場所)
シンシアが過ごしているのは、城の主であるワグレス王が、隣国フュダから嫁いできたばかりの若い妻のためにと造らせた庭園で、そのまま「王妃の庭」と呼ばれていた。
広大な王城の奥、城館や塔の建つ合間にあって、無用な立ち入りは禁じられている。
シンシアがここを使うのを許されたのは、一緒に王城に来ている義兄のダグレイ・ディルソンが、王妃に頼んでくれたからだ。
義理の妹には初の登城です。緊張が続いているでしょうし、自然の中で息抜きをさせてあげたいのですが──と。
国のちょうど中央を、北から南東へと流れていくエベロ川。この川に渡された二重橋のひとつを、北寄りにある領地内で管理するブレナ家の城は、人工物の多い王都とは違い自然豊かだ。そこで生まれ育ったシンシアは、王城の華やかさ、気忙しさにすっかり疲れてしまっていた。
(ここに来て、ほんの数日なのに……)
シンシアの不調に気づいてくれた義兄と、庭園を使うことに許可を与えてくれた王妃に、胸中でお礼を呟く。
とくに、隣国フュダから輿入れし、王妃となったエディッサには感謝の気持ちが強い。
同じ十九歳というのもあって気に入ったのか、エディッサはこの数日、話し相手としてそばに置いてくれている。それだけではなくシンシアを着飾らせることにも熱心で、毎回、王妃つきの侍女に髪をいじられていたのだ。
(華やかにしましょう……って……)
自分のドレスや装飾品も使わせようとするので、困惑するときもある。王妃の態度は屈託なく、気さくでもあったが、強引だと感じることもあったのだ。
とはいえ、不慣れな異国で重責を背負いながらも、フュダの太陽を思わせる笑顔ですべてをこなす若い王妃は、気難しい宮廷人の心も溶かし、多くの忠誠を勝ち得ている。
夫となったワグレス王がその筆頭だ。義兄ダグレイと同年代で三十歳の王は、ことあるごとに理由をつけては妻のもとに顔を出していた。
おかげで、エディッサと過ごしていたシンシアは王にも顔と名前を知られ、それだけではなく王妃が気に入ったなら、とよく声もかけられるようになっていた。
そうなると必然、注目を集めてしまう。王妃もそうだが、王もまた、城内であれ多勢とともに移動するものだ。高位貴族の側近たち、騎士、侍女、役人までついてくる。
とくに独身の男性貴族たちからは、こぞって熱い視線を送られた。
背が高く、すらりとした身体つき、金色の巻き毛に、初夏の空を思わせる明るい青い目というシンシアの外見もその一因だが、なにより良家の娘であり、王夫妻に気に入られていること──そして、十九歳のいまも婚約者さえいないこと……。
イラスト上原た壱
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