
イラストルシヴィオ
子爵令嬢アグネスは年頃を過ぎても嫁がず、孤児院で子供たちの面倒をみている。実は彼女には昔からずっと忘れられない相手がいた。本当の名前も知らないし二度と会えないだろうけれど、その彼以外との恋愛……結婚などは考えられず、このまま子どもたちの世話をして過ごしていければいいと思っていた。そんなアグネスのもとに王城から使いが突然訪れ「王女殿下の家庭教師」として召し上げられることに。なぜ自分が……?と疑問と不安でいっぱいのアグネス。しかし登城してみれば想い続けていた彼と思わぬかたちで再会する。一筋縄ではいかない王女殿下の教育に二人は奮闘。そして離れられないほど惹かれてしまう恋も動き始めて──
第一章 王城での再会
王国の南に位置するグレイティス侯爵領の一角には、今日も子供たちの楽しげな声が響いていた。
「アグネス先生ー! 早く早く!」
「置いて行っちゃうわよ~!」
先を行く子供たちがぴょんぴょん跳びはねながら、時折うしろを振り返っては手招きする。
彼らのあとについて、ゆったり歩いていたアグネス・フィローンは、風に舞い上がる豊かな焦げ茶色の髪を押さえて、にっこり微笑んだ。
「大丈夫よ、ちゃんとついて行っているから。あなたたちこそ、前を見て歩かないと転んでしまうわよ」
「そんなへまなんかしないよ! ……あっ!」
言っている端から、丘を駆け下りていた小さい男の子がこてんと顔から転んでしまう。
なにが起きたかわからず呆然としていたのも束の間、男の子は顔をくしゃくしゃにして、大声を上げて泣き始めた。
「あらまあ大変」
スカートの裾を持ち急ぎ駆けつけたアグネスは、泣きじゃくる男の子を抱え上げると、顔についた泥をぱっぱっと払った。
「大丈夫よ。草の上で転んだから大きな怪我はないわ。ここはちょっと擦り切れているわね。泉の水で洗いましょうね」
近くを走っていた子供が何人か戻ってきて、心配そうに男の子をのぞき込んでいた。
「マルコ、大丈夫?」
「アグネス先生、おれがマルコをおぶっていくよ」
「ありがとう、トーマス。お願いするわ」
すかさず近寄ってきた年長の少年が、すっと腰を落として手をうしろに回す。アグネスはぐずぐず泣く男の子を少年に背負わせ、ほかの子供たちと一緒にゆっくり丘を下った。
彼らが歩く丘を下った先には、そこそこ広い泉がある。木々も植わっているそこは、子供たちが暮らす孤児院から歩いて十分のところにあって、日差しが強くなってきたこの時期の格好の遊び場なのだ。
そのため、みんな我先にと走っていき、三日に一度は誰かが丘の途中で転んで、みぃみぃ泣くのが日課となってしまっている。
子供たちも慣れたもので、彼らは泉に着くとすぐに男の子の泥で汚れた服を脱がせて、怪我がないか丹念に調べた。先についた者は泉の水を汲んできて、タオルで男の子の顔を拭いてやっている。
そのあいだにアグネスは消毒液をガーゼに浸し、包帯を用意した。落ち着いてきた男の子を、慣れた手つきで手当てする。
「さぁ、これでいいわ。次からは気をつけましょうね。──じゃあみんな、泉に入って遊んでいいわよ。ただし、わたしから見える位置で遊ぶこと。いいわね?」
「はーい!」
子供たちは待っていましたとばかりに、服を脱ぎ捨てて泉に入っていく。
十歳を超えた子は裸になるのが恥ずかしいらしく、せいぜい足を浸すくらいだが、それでも充分気持ちいいようだ。そういう子は率先して小さい子の見守りをしてくれる。
アグネスも油断なく目を光らせながらも、汚れた服を手早く洗って、近くの木の枝に引っかけた。
「はあ~あ。こうしてのんびりできるのも今月までかぁ」
と、近くの岩場から盛大なため息と愚痴が聞こえてきた。振り返ると、そこには今年十四歳になった少女が座っていて、足先で水面を蹴りながら浮かない顔をしている。
イラストもなか知弘
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